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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)3492号 判決 1973年1月17日

原告 畑下八郎

右訴訟代理人弁護士 吉田恒俊

被告 学校法人大阪明星学園

右代表者理事 竹森敏

<ほか二名>

右訴訟代理人弁護士 鮫島武次

右訴訟復代理人弁護士 安藤一郎

主文

被告は、原告に対し、金五一一、六八二円とこれに対する昭和四四年六月二三日から支払済みに至るまで年五分の率による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一四分し、その一三を原告の負担、その一を被告の負担とする。

事実

一、原告は、

「被告は、原告に対し、金七、七六六、三八二円とこれに対する昭和四四年六月二三日から支払済みに至るまで年五分の率による金員を支払え。」

との判決と仮執行の宣言を求める旨申し立て、

請求の原因として、次のとおり述べた。

「(一) 原告は、昭和四四年六月二三日午後五時ごろ、原動機付自転車を運転して、大阪市天王寺区餌差町六番地、被告学校法人グランド西側道路を南進し、学校正門の北約五〇メートルの地点に差しかかった際、被告所属明星中学校の生徒がグランドでサッカーの練習中に蹴り上げたサッカー・ボールが、グランドと道路との間の金網塀をこえて落下する中途で原告の前頭部に直接当ったため、原告は、後記の傷害を蒙った。

(二) 右グランドは、被告の占有かつ所有にかかる学校用地内にあって、南北約九二メートル、東西約一四四・四メートルの長方形様を呈し、被告がその設置にかかる明星高等学校および明星中学校の生徒の正課および課外活動の用に供しているものである。そこでは、生徒達がサッカーのクラブ活動を定期的に行っているのであるが、グランドのすぐ西隣は、交通量の激しい舗装道路であるから、サッカー・ボールがグランドから道路に飛び出して通行人に傷害を負わせるようなことがないよう、しかるべき設備が必要であるといわねばならない。しかるに、本件事故当時、グランドと道路との間には、被告が高さ五・八メートル弱の金網塀を設けているだけで、他になんらの安全設備もなく、しかも、サッカーのゴール・ポストは、塀からわずか二〇メートル位の個所にあった。したがって、サッカーの試合または練習中にゴール附近で蹴り上げられたボールは、たやすく塀をこえて道路に落下するおそれがあり、現に本件事故の前もそうした例が何回もあったのである。本件事故の発生は、被告の占有かつ所有にかかる土地の工作物たるグランドないしその附属設備の設置または保存に瑕疵があることに基因するものというべきである。

(三) 原告は、昭和四三年一二月一三日、交通事故で頭蓋骨陥没骨折の傷害を蒙り、同月二六日に観血的整復固定手術を受けたが、昭和四四年二月一〇日まで通院して加療を受け、順調に回復して、何の自覚症状も残らぬ状態になっていた。ところが、再び同じ頭上にサッカー・ボールによる衝撃を蒙り、せっかく回復しつつあった頭脳の容態が再び急速に悪化し、頭痛、耳鳴りが加わり、上を向くと目まいがして頭がふらふらし、全身に疲労感を覚えるようになったもので、この後遺症状は、現在もなお継続しているのである。こうした原告の身体症状は、もっぱら本件事故に基因するものといわねばならない。

そこで、右に伴う原告の損害は、次のとおりである。

(1)  原告は、本件事故にあった昭和四四年六月二三日から現在まで、週三回欠かさず訴外辻尚司医師のもとに通って治療を受けており、その間の治療費として金三〇、一二〇円を支出した。

(2)  原告は、従来自宅において、酒類、たばこ、調味品、パン菓子類、食料品および日用品の六部門の小売店を経営していた。しかし、本件事故により身体症状が思わしくなくなったので、昭和四四年一〇月末日限りで仕入れ等に重労働を余儀なくされる食料品および日用品の二部門の経営を放棄するのやむなきに至った。原告は、従来食料品部門で月平均二六、六八六円で、日用品部門で月平均金一九、四〇八円の各純利益をあげていた。それ故、原告は、昭和四四年一一月一日から昭和四五年五月三一日までに、食料品部門で金一八六、八〇二円、日用品部門で金一三五、八五六円、合計金三二二、六五八円の得べかりし利益を喪失した計算になる。

(3)  原告は、昭和四五年六月現在五一才であるから、将来の就労年数を一二年として同月以降の右営業縮少による得べかりし利益をホフマン式中間利息控除法によって算出すると、

(26,686円+19,408円)×12×9.215=5,097,074円

の数式に従い、金五、〇九七、〇七四円となる。

(4)  原告は、前述のとおり、本件事故当日から継続して週三回通院しており、その回数は、すでに一二〇回をこえている。よって、通院一回金二、〇〇〇円とし、すでに金二四〇、〇〇〇円をもって慰藉すべき精神上の損害を蒙っている。

(5)  さらに、原告が前記の後遺症によって蒙っている精神的損害は、これを慰藉するのに金一、五〇〇、〇〇〇円を要するものである。

(6)  原告は、本件訴訟を追行するのに弁護士を委任しているが、これに支払う報酬等の費用金六〇〇、〇〇〇円も、本件事故による損害に属するものである。

(四) よって、原告は、本訴により被告に対し、以上の合計損害金七、七六六、三八二円とこれに対する事故発生の日である昭和四四年六月二三日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の率による遅延損害金の支払を請求するものである。」

二  被告は、

「原告の請求を棄却する。」

との判決と敗訴の場合における仮執行免脱の宣言を求める旨申し立て、

答弁および抗弁として、次のとおり述べた。

「(一) 原告が、昭和四四年六月二三日午後五時ごろ、原動機付自転車を運転して、被告学校法人グランド西側道路を南進していたこと、そのころ、被告所属明星中学校の生徒がグランドでサッカーの練習中に蹴り上げたサッカー・ボールが、金網塀をこえて道路に落下したことは、これを認める。しかし、このボールが落下の際に原告に当ったことは、これを否認する。グランド外にあってその時の情況を目撃した第三者は、誰もおらず、原告がそのようにいうだけであるが、高い塀をこえたボールならば、原告の進路の上をこえ道路の向う側まで飛んで行ったはずである。

かりにこのボールが原告に当ったとしても、その衝撃が大したものであったとは考えられない。元来サッカー・ボールは、競技中にヘディングしても頭が負傷しないように考えて作られており、まして中学生用のそれは、重さがわずか二五〇グラムから三〇〇グラムのものであり、また、ボールが塀をこえて落下しつつある時には、蹴り上げた時の力がすでに抜けてしまっていたはずである。原告がこのボールに当って負傷したというのは、虚構の主張といわねばならない。

(二) 被告が学校用地内に右グランドを占有かつ所有しており、その形状、位置関係、金網塀の高さ、ゴール・ポストの位置、使用情況が原告の主張どおりであることは、これを認める。しかし、右グランドの設置および保存については、格別の瑕疵がなく、グランド周辺の金網塀も、通常のもので、安全設備として欠けるところがない。

(三) かりに、被告の設備にかかる金網塀をこえたサッカー・ボールが原告に当り、そのため原告が負傷したとしても、右に基づく損害として原告の主張するところは、過大である。

原告が、昭和四三年一二月一三日、交通事故で頭蓋骨陥没骨折の傷害を蒙り、同月二六日に観血的整復固定手術を受けたことは、原告の自認するところである。この手術は、頭蓋骨の患部以外の個所に穴をあけ、そこから陥没部分を持ち上げるという大変な手術であるから、この時の原告の受傷は、非常に重いものであったと思われる。原告にその主張のような後遺症があるとしても、それは、この時の受傷に基因するもので、ボールが頭に当ったことによるものではない。少なくとも、両者が競合して後遺症の原因となっているのであり、どこまでがボールによるものかを確めることは、不可能である。

(1)  原告の請求する治療費は、過大である。原告は、本件の問題が生じてほどなく、被告に対し善処方を求めて来たが、その際には、ボールが当ったけれども、大したことはないようにいっていた。そこで、被告は、サッカー部の教諭笠松義彦に金一〇、〇〇〇円を原告方まで持参させたところ、原告は、これを受領し、その後久しく被告に対して何もいって来ていない。被告としては、これで治療費の支払を済ませたものと久しく考えていた位である。

(2)  原告は、本件事故による労働能力の低下のため、食料品部門および日用品部門の小売営業を廃止するのやむなきに至り、得べかりし利益を喪失したと主張しているが、虚構もはなはだしい。もともとこれらの営業の主体は、原告の妻畑下博子であり、原告は、その家族専従者にすぎない。そして、右食料品部分は、訴外中川正が、日用品部門は、訴外堤元忠が、いずれも昭和四二年ごろ以降原告から店舗を賃借して営業を継続しており、原告は、右訴外人両名から月額金一五、〇〇〇円ずつの賃料を徴している。また、本件の事故が特にこれら二部門の経営放棄の原因をなしているというのも、納得しがたい主張である。原告は、身体症状を云々するが、本件の問題が生じて間もなく自動車学校に通い始め、運転免許を取り、昭和四五年一二月に自動車を購入しているのであって、矛盾もはなはだしい。

(四) また、被告の設置にかかる金網塀をこえて飛来したサッカー・ボールが原告の頭に当り、原告が負傷したのであれば、それは、原告自身の過失にも基因するものである。原告は、六箇月前に頭蓋骨陥没骨折の重傷を蒙り、療養中であったから、頭の保護については特別に留意すべきであった。しかるに、原告が道路上をヘルメットも被らずに原動機付自転車を運転していたのは、はなはだ軽卒と評するのほかなく、これが自らの負傷を招いたものといわなければならない。右は、原告の請求し得べき賠償額を定めるにつき、当然斟酌することを要する事情である。

(五) なお、原告が本件事故に基因しいくばくかの損害賠償請求権を取得したとしても、それは、左記のとおり全部または一部が支払により消滅に帰している。

(1)  まず、被告から笠松教諭を介して原告に金一〇、〇〇〇円を支払済みであることは、前述のとおりである。

(2)  また、原告は、同和火災海上保険株式会社に対し、本件事故による就業不能を理由に傷害保険金の請求をしたところ、同会社は、事故の発生および被害の情況、ことに原告の症状に不審を抱き、原告の請求金額に大幅の削減を施したが、それでも、昭和四五年三月一二日に至り、保険金一七〇、〇〇〇円を支払ったものである。

(六) さらに、原告は、昭和四五年四月二三日、被告からの委任に基づき原告との間の折衝に当っていた代理人の弁護士鮫島武次方事務所において、同弁護士に対し、治療費以外の損害賠償請求権を放棄する旨の意思を表示した。それ故、かりに原告が被告に対して本件の事故に基づく損害賠償請求権を取得したとしても、右の放棄した分については、もはやこれを請求することができないものである。」

三、原告は、被告の抗弁に答えて、次のとおり述べた。

「(一) 被告の過失相殺の主張は、失当である。原告が本件事故当日ヘルメットを被らずに原動機付自転車を運転していたことは、これを認めるけれども、通常運転者がヘルメットを被るのは、交通事故による頭部の受傷を避けるためであって、サッカー・ボールのような物体の落下を予測してヘルメットを被らねばならぬいわれはあるまい。

(二) 原告が、本件事故の日の翌日、被告学校法人の笠松教諭から金一〇、〇〇〇円の交付を受けたことは、これを認めるが、それは、被告からでなくサッカー部からの見舞金であるという説明であったので、一応預っておいたにすぎない。

(三) さらに、被告の主張する損害賠償請求権放棄の事実は、存在しない。原告は、被告主張の日にその代理人鮫島弁護士の事務所に行ったことがあるが、その際は、治療費の請求をしただけで、被告の主張するような放棄の意思を表示したことはない。」

四、証拠≪省略≫

理由

一  昭和四四年六月二三日午後五時ごろ、原告が、原動機付自転車を運転して、被告学校法人グランド西側道路を南進していた際、被告所属明星中学校の生徒がグランドでサッカーの練習中に蹴り上げたサッカー・ボールが、金網塀をこえて道路に落下したことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件の第一の争点は、右サッカー・ボールが落下の際に原告に当ったかどうかであるが、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

まず、右命中の事実を直接に証するものとしては、原告本人の供述をおいて他に存しない。しかし、≪証拠省略≫によれば、原告は、右ボールが道路上に飛来したのを拾い上げ、これを取りに来たサッカー練習中の中学生田口史雄に対し、「ボールが当った。先生を呼んで来い。そうでないとボールを返さん。」と告げたこと、原告は、そのままこのボールを持って帰宅したのであるが、その時原告の顔色がよくないのを見て問いただした隣人の訴外尾家一朋に対し、やはりボールを当てられたと打明けたところ、同人からすすめがあったので、すぐに被告方の学校にとって返し、サッカー部長の教師笠松義彦に対しても、同趣旨のこと告げて善処方を求め、さらに、翌日午前中にも学校に来て同教師と面談し、保健婦の診断を受けたことが明らかである。また、原告が、これより約半年前の昭和四三年一二月一三日、交通事故で頭蓋骨陥没骨折の傷害を蒙り、同月二六日に観血的整復固定手術を受けたものであることは、当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫によれば、原告は、その後昭和四四年一月一四日まで医師辻尚司のもとに入院、同年二月一三日まで通院して治療を受けていたのであるが、手術後の経過が順調で、通院をやめてからは、全治には至っていないものの、さしたる自覚症状もなく、おおむね平常どおり従前の酒類、たばこ、食料品等の小売営業に従事していたこと、しかるに、原告は、同年六月二三日、本件のサッカー・ボールをめぐる問題が生じた後、目まい、吐き気等の自覚症状が生ずるに至ったので、同夜、前と同じ医院に赴いて診断を求めたところ、同医院においても、若干の容態悪化を認め、以後再び原告の通院が始まり、久しく継続していることが認められる。

もっとも、右の点に関する原告本人の供述は、ボールが飛来した後、原告がこれを拾い上げ、前記田口史雄と相対して問答するに至るまでの経路および位置関係について、一貫性を欠くのみならず、右田口が証人として証言するところとの間に著しい相違が認められ、そのいずれに信をおくべきかは、問題である。しかし、この点については、いずれの供述を採用するとしても、それが前示の認定を覆すに足りるものとは考えられない。被告は、高い塀をこえたボールならば、原告の進路の上をこえて道路の向う側まで飛んで行ったはずであるというが、≪証拠省略≫ならびに、現場検証の結果によれば、右グランド内、ゴール・ポスト前から蹴り上げたボールが原告の進路上に落下する蓋然性は、十分に存在するものと認められ(る。)≪証拠判断省略≫また、原告は、前示のサッカー・ボールが原告に当ったとしても、その構造、重量、落下速度からして、原告に傷害を与えたはずがないと主張しており、なるほど≪証拠省略≫によれば、この時塀をこえて道路上に飛来したボールは、重さわずか二五〇グラムのものであったことが認められる。しかし、健康なサッカーの競技者が意識してボールに頭をぶつけるのであればともかくとして、ボールが当ったのが前述のとおり六箇月前に頭蓋骨陥没骨折の傷害を負った原告の患部であるならば、そのボールが前示のように軽いものであったにせよ、原告にあらたな傷害ないし以前の受傷に伴う後遺症状の悪化をもたらしたと認めることは、十分に合理的であるといわなければならない。

三  次に、右グランドが被告の占有かつ所有にかかる学校用地内にあって、そこでは被告の設置にかかる明星高等学校および明星中学校の生徒達がサッカーのクラブ活動を定期的に行っていること、グランドのすぐ西隣は、交通量の激しい舗装道路であるが、ボールの逸出を防止する設備としては、被告がグランドと道路との間に高さ五・八メートル弱の金網塀を設けているだけであり、サッカーのゴール・ポストは、この塀から二〇メートル位の個所にあることは、当事者間に争いがない。そして、現場検証の結果によれば、この高さの塀は、右道路側から北側の隣家に面してもグランドを囲んで延びていることが認められるのであるが、≪証拠省略≫によれば、右グランド内で生徒達が球技中、大小各種のボールがこの塀をこえて道路上に隣家の領域にと絶えず飛び出すことが明らかである。そうとすれば、被告の占有かつ所有にかかる右グランドおよびこれに附属の土地の工作物たる金網塀は、ボール逸出による人的物的の損害を防止するための施設として設置に瑕疵があるものというべきであり、本件の事故は、右の瑕疵に基因して発生したものにほかならない。それ故、民法第七一七条第一項に従い、被告は、本件事故によって原告に生じた損害を賠償する責に任ずべきものである。

四  よって、以下被告の賠償すべき損害の額について判断する。

(一)  治療費

≪証拠省略≫によれば、原告は、辻外科医院に対し治療費として、本件事件が発生した昭和四四年六月二三日から昭和四五年五月二三日までに合計金三〇、一二〇円を支払ったことが認められる。しかし、これまでに認定した諸般の事実、ならびに、≪証拠省略≫に徴すれば、本件事故後における原告の健康状態の悪化は、六箇月前の重傷による後遺症が存続している間において、これが原因となって出捐を余儀なくされた分もかなりあると認むべきであるから、前記期間中の治療費の全額が本件事故に基因する原告の出捐であると断ずることを得ない。当裁判所は、上述した諸般の事情を総合して考え、その三分の二である金二〇、〇八〇円だけが本件事故と相当因果関係のある原告の損害であると認定する。

(二)  喪失利益

≪証拠省略≫によれば、原告は、従来から妻の畑下博子名義で店舗を構え、酒類、たばこ、調味品、パン菓子類、食料品および日用品の小売業を営み、夫婦および一名程度の従業員をもって右営業に従事していたところ、本件事故後の昭和四四年一一月に入って、右のうち食料品部門の営業を訴外中川正に、日用品部門の営業を訴外堤元忠に、それぞれ譲渡したことが認められる。そこで、原告は、右営業譲渡が、本件事故に基因する身体障害のため、右両部門の仕事がやり切れなくなったことによるものであると主張し、≪証拠省略≫も、右にそうものであり、かつ、原告は、右営業譲渡の結果両部門の小売による得べかりし利益が失われたとして、右喪失利益額を損害として請求しているのである。しかしながら、≪証拠省略≫によれば、原告は、本件事故によりいくらか健康を害したけれども、他の部門の営業を継続し、事故後昭和四五年七月に自動車学校に入り、同年一一月一〇日には自動車の運転免許を取った位であり、また、営業譲渡に当っては、譲受人両名から相当額の対価を得たのみならず、その後は月額金一五、〇〇〇円ずつの店舗賃料を徴していることが認められるから、身体障害と営業譲渡の間の因果関係の存在も、営業譲渡に伴う利益喪失の事実も、すこぶる疑わしい。もっとも、本件事故による原告の健康障害の結果、その労働能力に若干の低下を来たし、それがひいては営業収入の減少をもたらしているであろうことは、当然推認し得るところである。≪証拠省略≫によれば、原告は、各種の自覚症状を訴えながら昭和四六年九月まで辻外科医院に通って治療を受け、徐々に回復しつつあるとはいえ、通院をやめた後もいくらか頭がふらふらするような症状を残していることが認められる。当裁判所は、こうした事情のほか、前述した原告の経営規模、≪証拠省略≫から窺える限りにおける原告の営業収益の程度などを考慮し、原告は、本件事故による健康障害に基因するものとして、右営業譲渡をなした昭和四四年一一月から五年間、月間平均金五、〇〇〇円の限度における収益減少を蒙ったものと認定するものである。そこで、これをホフマン式中間利息控除法により本件事故が発生した同年六月二三日の現在価に換算すると、別紙計算表に示すとおり金二六三、三四六円となる。

(三)  慰藉料

これまでに認定した諸般の事情を総合すれば、原告は、本件事故に基因する身体障害を原因として、金三〇〇、〇〇〇円をもって慰藉される程度の精神的損害を蒙ったものと認められる。この点の原告の主張額は、過大に失するものである。

(四)  過失相殺の不成立

原告が、本件事故当時ヘルメットを被らずに原動機付自転車を運転して道路上を進行していたことは、当事者間に争いがない。そこで、被告は、これが本件事故による損害発生の原因をなしたところの原告の過失であると主張する。しかし、原動機付自転車を運転して道路上を走行するのに運転者がヘルメットを被らねばならぬという一般的な注意義務は、これを認めることができず、原告が前述のとおり当時頭部傷害の後遺症を有していたからといって、右の原則に対する例外を認むべきものとは思われない。のみならず、被告が、いわゆる交通事故の範疇に属しない本件の事故について運転者のヘルメット不使用の過失を云々しているのは、適切な主張とは解しがたい。その他、本件事故に基づく損害の増大についても、賠償額の算定の際に斟酌するに足りる過失が原告の側にあったとは、証拠上認められない。

(五)  一部支払等

原告が、本件事故の日の翌日、被告学校法人の教師笠松義彦から金一〇、〇〇〇円の交付を受けたことは、当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、右は、被告設置の学校のサッカー部からの見舞金の趣旨で交付され、原告においても異議なく受領したものであることが認められ、その出所は、必らずしも明らかでないが、それでも右交付金額の限度で原告から被告に対する損害賠償請求権の一部消滅があったことは、疑いを容れぬところである。また、≪証拠省略≫によれば、原告は、同和火災海上保険株式会社に対し、本件事故に基づく傷害保険金五、〇〇〇、〇〇〇円の支払を請求していたところ、昭和四五年三月一二日に至り、同会社からその査定額金一七〇、〇〇〇円の支払を受けたことが認められるから、これから年五分の率による中間利息を控除した本件事故発生の当日である昭和四四年六月二三日の現在価金一六一、七四四円の限度においても、右損害賠償請求権の一部消滅を認めなければならない。

(六)  請求権一部放棄の不成立

昭和四五年四月二三日、原告が被告代理人の弁護士鮫島武次の事務所において同弁護士と面談したことは、当事者間に争いがない。被告は、その際原告が被告に対し治療費以外の請求権を放棄したものであると主張するが、≪証拠省略≫によれば、この点に関する事情は、次のとおりであったと認められる。すなわち、原告は、鮫島弁護士に対し、被告において治療費金二三、四七〇円を支払うよう善処方を求めるとともに、治療費の支払が得られるならば、他の金銭の支払請求をしないとはっきり言明したところ、同弁護士は、早急に被告に連絡して原告の意にそうようにしたいと答え、原告は、早くこの点の確答を得たいと述べ、その時の面談は、円満に終了した。そこで、同弁護士は、遅滞なく被告の担当者に右の旨を伝え、善処方を求めたのであるが、被告からは、しばらく何の連絡もなく、ようやく同年五月一日に至り、同弁護士のもとに原告からの右請求金を持たしてやるとの返答があったので、同弁護士は、直ちにこれを電話で原告に伝えたのであるが、原告は、この返答がおそきに失するから、治療費だけでは許せないとして、受領拒否の意思を表示し、その後本訴提起に及んだのである。以上の認定事実によれば、原告は、被告から原告に対し早急に治療費を支払うべく、右支払があれば、原告から被告に対しその余の損害賠償請求をしない旨の和解契約の申込をなしたものと解するのが相当である。そして、右申込には何日までというように承諾の期間が定められていなかったが、そもそも承諾の期間の定めのない申込についても、申込者の撤回がない限り無制限に承諾適格が持続するものでなく、相当の期間の経過後は、承諾によって契約を成立させることができないものと解されるのみならず、本件の事案において、原告としては、早急な諾否の確答を求めていたことが明らかであり、しかも、その時の原告の請求額は、比較的僅少であったし、原告と応対した被告代理人の弁護士も、原告の要求に対し好意を示したいきさつであるから、原告からの申込が承諾適格を有していた期間は、かなり短いものであったと認めなければならない。しかるに、被告は、右申込に接してから一週間以上も経過した時期にようやく承諾の意思を表示したのであるから、その時にはすでに原告が申込に対する諾否の回答に接することを期待すべき合理的な期間が経過してしまっており、申込が承諾適格を失っていたものと解するのが相当である。結局、原、被告間には、治療費以外の損害賠償請求権の消滅をもたらすところの和解契約が成立したものと認めることができない。被告の前示抗弁は、理由がないものである。

(七)  弁護士費用

原告は、弁護士吉田恒俊を訴訟代理人として本訴訟を提起、追行しているものであるところ、原告、同弁護士間において右に関する報酬金の約定ないし支払があったことの具体的証拠は、存しない。しかし、前段に認定した経緯に徴すれば、原告が弁護士を訴訟代理人として本訴訟を提起、追行しているのは、当然の措置と認むべきであり、また、これに基づき弁護士に対し相当額の報酬をすでに支払い、または将来支払うべきに至ることも、反証なき限りこれを推認するのが相当である。そして、原告の右支払金のうち本件事故と相当因果関係に立つ損害の範囲に属するところの額は、前示原告の請求認容額、および本件訴訟の難度を考慮し、金一〇〇、〇〇〇円と認定すべきものである。

五  してみれば、被告は、原告に対し、本件事故に基づく損害の賠償として、上記(一)ないし(三)の各認容額を合算し、これから(四)の一部支払額を控除し、さらに(七)の認容額を加算したところの金五一一、六八二円、ならびに、これに対する事故発生の日である昭和四四年六月二三日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の率による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は、以上の義務の履行を求めている限度において理由があるから、これを認容するが、その余は、理由がないから、これを棄却することとし、なお、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文を適用し、原告の勝訴部分にかかる仮執行の宣言の申立を不相当と認めて却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 戸根住夫 裁判官 岡田春夫 竹中省吾)

<以下省略>

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